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[ 2019-05 -12 21:26 ]
2019年 05月 12日 ( 1 )
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「あたりまえ」は武器。
2019年 05月 12日
凡事徹底。
これは我が社に限らず、多くの会社が謳っている慣用句。
私自身も20年以上
「あたりまえ」こそ「武器」なると言い続けている。
「武器」なのだ。
つまり、使い方を誤ると自分自身に危害を加え兼ねない。
たまに耳にする
「だから飲食で働く奴らは、社会の底辺なんだよ!」
こんな捨て台詞。
私は耳が良いので、年間数回 外食中に耳に入ってきます。
なんでこんな事を言われるのか?
それは「あたりまえ」の事すら出来ないからだ。
ちなみに「あたりまえ」とは何でしょうか?
ここ最近(10年以上?)は、
「あたりまえ なんて、存在しない」=「オレはオレ、私は私」理論が先行している感がある。
あまりにも「個性が大切」と教育した為に、何か考えが歪んだ気がする。
もちろん日本以外の国でなら、この考えでも良いでしょう。
しかし日本の教育は、共産主義的思想がとても色濃く反映されています。
そして先進国唯一の島国である日本人は、同調性を好みます。
まさに相反する教育と国民性がぶつかり合う、日本は国民性変革期の過渡期と言っても過言ではない時期だと私は考察しています。
話は戻って「あたりまえ」とは、
私は「分別が付く年齢になったら、誰でも出来ること」と定義しています。
簡単に言えば「中学生レベルなら出来ること」
挨拶をする。
笑顔を作る。
丁寧に掃除をする。
信号無視をしない。
ゴミはゴミ箱へ。
etc
その人にとって大切であろうがなかろうが、「出来ることは必ず実践する」これが「あたりまえ」だ。
どんな些細なことでも、気にする人は気にするし、気にしない人は気にしない。
そう言う尺度で物事を考えるから「あたりまえ」を実践出来ないのだ。
まずは「誰でも出来ることをやる」
そして結果が出たら自由にすれば良い。
特に飲食店は。
大大行列が出来ている飲食店なら、多少 お店が汚くても誰も文句を言いません。
まとめ。
「あたりまえ」なことの徹底は武器になる。
逆に
「あたりまえ」なことが出来ていないと、誰かの不満の矛先になり兼ねない。
どんな些細なリスクも、取り除けるモノは取り除く努力をする。
それがプロの仕事ではなかろうか?
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by boaboa16
| 2019-05-12 21:26
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